2014年8月31日

今回はいよいよラストのラスト。ボーカルギターのyj 編(後編)です。

このインタビューについての意気込みや、ここに至る流れなどは、以前の記事
「AYANO」ベーシスト:郁 編
「AYANO」ドラマー:ソル 編
「AYANO」ボーカルギター:yj 編(前編)
をご覧頂ければ幸いです。

ベーシスト:郁 編は こちら
ドラマー:ソル 編は こちら
ボーカルギター:yj 編(前編)は こちら

冒頭のyoutubeは、渋谷 O-nestというライブハウスで行われた、直近のライブの様子です。
映像入りのライブの様子がよくわかって頂けるかと思います。
会話の中で登場する、「弦楽器を入れた状態」のAYANOをご覧頂けます。
BGMとして流しながら読んでもらえると嬉しいです。どうぞ。

AYANO 左から Drum:ソル Vocal/Guitar:yj Bass:郁
2006年結成。
日常の身近にある事象、自然、人、社会などを捉え、Vo/Gt yj の「感覚」を音で描く。
ayano-web.com

AYANOインタビュー  ボーカルギター:yj 編

ベーシスト:郁 編は こちら
ドラマー:ソル 編は こちら
ボーカルギター:yj 編(前編)は こちら

—-作り手の感覚と受け手の感覚の一致に、どこまで期待するのか

ソウダ:
じゃあ更に訊きたいのは。
それがお客さんにどこまで伝わって欲しいのか、伝えたいのかみたいなことだね。
それはやっぱり同じ景色が見えてほしいの?

yj:
あのねー、同じ景色を見た所で、感じる事は違うじゃん。だから、基本的に同じ景色は見えてほしいんだけど、でもそこで感じる事はそれぞれ自由だし、逆に俺はやっぱり感覚を残したいから、またそれは逆に言うと、同じ感覚を持った時に見える世界というのも違うわけじゃん。

ソウダ:
あー。なるほどね。

yj:
例えばだよ、女の子に振られましたってなった時にさ、5年越しに好きだった女の子に今日初めて告白して振られましたっていうのと、2・3日前に一目惚れした子に告白して振られましたっていう感覚はまたちょっと違うわけじゃん、振られた時の気持ちって。
それと同じように、振られましたってなった時に例えば絶望したとして、そこからの数日間がモノクロの世界になってしまうのか、それともセピア色の世界になってしまうのかは、人によってちょっと違うわけじゃん。

ソウダ:
はい。

yj:
でもその、まず受けた感覚ありきな話なわけだよね。

ソウダ:
うんうんうん。

yj:
だから、同じ景色を見て、もしくは同じ事が起こって、でも自分が違う感覚を持つっていう形でもいいし、同じ感覚を味わった上で違う景色が見えてるっていうのでもいいんだよね。

ソウダ:
うん。

yj:
でもそのどちらか、当たってほしいってのはあるよね。笑

ソウダ:
なるほどね。

yj:
感覚的なものが当たるのか、それとも見てる景色が当たるのか。でも、曲をやる事で感覚の説明になるわけじゃないからね、その、同じ感覚になるかどうかってのはわからないんだけど。

ソウダ:
うん。さっきの文脈で言うと、例えばエンターテインメントの文脈って、「自由に楽しんでくれれば良いですよ。」みたいな風潮あるじゃない?どっちも説明しないで、どういう感覚になってもらってもいいし、どういう景色を見てもらおうがそれはリスナーの自由ですっていうのが、まあ、あったりするわけじゃないですか。

yj:
うん。

ソウダ:
で、例えば恋愛の曲が多いからそれで例えると、恋愛って体験としてリスナーみんな割と共通するよね、みたいな所で、振られたっていう気持ちはそれぞれ皆あったりするだろうから、振られた時のことを思い出して、振られた時に感じたことと、その時に見えてた画を思い出してもらって、演者の持ってるものとはどっちも当たってない、どっちも当たってないんだけど、自分の物語に照らし合わせて、それ感動するよね、みたいな事じゃないですか。割と。笑

yj:
うんうん。

ソウダ:
それで言うとじゃあ、その3パターンがあるとしたら、その3パターン目の文脈ではないものでありたい、みたいな感覚はあるのかな?
つまり、yjが言った2パターン、曲を作ってる時に込めた感覚、感情みたいなものが、作り手とリスナーとで共有出来る、というのが1つ目。
その最初の感覚っていうのは共有出来ていないかもしれないけど、それを曲として描き出した時に見える画、景色ってのが作り手とリスナーとで同じようなものが見えている、共有出来ている、っていうのが2つ目。
で、曲を作った時の感覚も、描き出した後の画も、どっちも共有は出来てない、当たっていないけど、でもリスナーが自分の経験や感覚と照らし合わせて、まあ悪い言い方をすれば、いや、全然悪くないんだけど、笑、言い方として悪く聞こえちゃうかもしれないけど、リスナーが自分の経験をもとに、曲の感覚や画を疑似的に理解したつもりになって感動する、っていう、割とエンターテインメントの中で育まれてきた文脈、ってのが3つ目。

まあ乱暴に言っちゃえば、ポップソングの文脈って、自分の世界や経験と照らし合わせて、作り手の持ってる感覚や描く景色とは、どっちも当たってないんけど、自分の世界では、リスナー自身の視点から見れば当たってるから、っていう成立の仕方をしてると思ってて。でも、それって厳密に言えば、作品から受ける自分の中の感覚と自分の中の画じゃん、ていう気がしていて、まあそしてそれって作り手は割とみんな確信犯的にやってて、ポピュラリティーを追求してるわけだからそれは当たり前で、まあなるべくみんなに当たるように、というか。

yj:
そうだね。

ソウダ:
まあ別に作り手の感覚とも描く画とも、どっちとも当たんなくても成立してくれるわけだから、そういう意味では当たりやすいよねっていう。笑

yj:
そうだね。

ソウダ:
っていう所じゃないですか。それが、多分ポピュラリティーと言うか、大衆性だと思うんだけど、そしてそれは別に全然悪いことじゃないしそうやって成り立ってきてるわけだし。でも、yjにとってはたぶん、そこじゃない所を目指してるんだ、っていう事だよね?割と。

yj:
そうだね。そうそうそう。そういうことです。

ソウダ:
それで言うと、その、yjの持ってる感覚か、描いてる画か、どっちかが当たってほしいっていう所を、じゃあ説明しなきゃねっていう所になってくるわけだよね、今。

yj:
そうなんだよ。

ソウダ:
それ、どうしよっか。笑

yj:
ね。笑

ソウダ:
あはははは。笑

yj:
どうしようかねー。

ソウダ:
どうしようかって話になっちゃうけど。笑

yj:
AYANOのホームページでも謳っているように、AYANOが描く景色を見て、景色を感じて、自分の中にも同じ景色がある!ってなればその時の自分は何を感じてたかって考えるということもできるし、感覚の部分を汲み取ったのであれば、「俺はこの曲は白色なんだよな。」「いや私は紫だ。」っていう風に景色を思い描く事も出来る。それはまあ、どっちもできるねっていう事ではあるんだけど、どっちを当てにいくかっていうことだけど、俺は別にどっちが当たってもいいし、そりゃ理想としては両方とも当たったら最高にすごいよね。そういう人って、限りなくyjだよね。笑



—-「興味がない」事への悲しさ

ソウダ:
じゃあそれが良いのかどうかって話で言うと例えばさ、yjのオナニーに見えたって言われた事があるって前に言ってたけど、まあyjに限らない、AYANOのオナニーであるって言われたとして、それって”感覚か景色か、どっちか当たって欲しい”っていうのはある種そういう事じゃない?

yj:
うんうん。

ソウダ:
別に当たる必要ないじゃんっていうのが3つ目の話で、別に当たんなくても感動できるじゃんっていう道が一つある中で、でもそれを当てたい、リスナーに当てて欲しい、っていうのは割とまあマイノリティーであって、割とみんなはそうじゃない風に思ってるわけじゃない。それは自覚してやっていくならいいけど、まあやっぱりそういう批判もあるわけじゃないですか。

yj:
うんうん。

ソウダ:
そこに対してはどうでしょうか。ピンポイントな、割とナウな話だけど。

yj:
なんかねー、その、んー、、、まあ逆にオナニーの何が悪いのかっていう風にも思うし、別にそれを押し付けてるわけじゃない。それはみんなも取捨選択をすればいいし、そいつがそう思ったのならもう来なきゃいいだけの話じゃん、ある意味。ただ、自分の経験してこなかったことを経験してる人ってのが世の大半で、その人が好きか嫌いかは別として、その人の話とかを聞くとさ、俺はそれだけで「へぇー!」って単純に感心するんだよね。
だからそういう「人の話」だと思ってもらえればいいし、それってすごく人生の視点を広げるものだと思ってる。それをオナニーと言っていては世の中、特に芸術ってのはそれでしかなくなってしまうよ。

ソウダ:
はい。

yj:
で、俺つい最近思ったんだけど、なにかに対して「私、これに興味ないから。」っていう風に言い放ってる人がいて、Twitterでね。で、俺それはすごい悲しいと思うのなんか。俺、”興味がない”っていう言葉がすごい、なんか、ショックなの。なんか。

ソウダ:
うん。

yj:
誰が何に対して発してても。

ソウダ:
“好き”の反対は”興味ない”だもんね。ある種。”嫌い”というよりは。

yj:
そう、そうそうそう。悲しい。”嫌い”の方がいいんだわ。

ソウダ:
うん、そうっすね。

yj:
いや、もちろん嫌いって言われるのは嫌だけどさ、”嫌い”は評価だから。でも、”興味ない”ってもしかしたら評価もしてないんだよね。

ソウダ:
そうだね。

yj:
それってすごい悲しいことで、人として。一通り知った上で”興味ない”っていう言う人は確かにいないんだよね。
“興味ない”っていうのは、まず「評価をしません。」って言ってるわけだから。でも、それってすごい悲しいことで、なんでも、何においてもそうなんだ。
俺は結構その、何においてもわりかし興味持つし、なんかやっぱりさ、存在してるわけじゃん?何か事象だったり、物だったり、存在してるってことはさ、その裏に何かがあってさ、知りたくなっちゃうんだよね。

ちょっと話それるけどさ、小学生の時に、いつも代々木の塾に通ってたわけですよ。で、俺吉祥寺に住んでたから、中央線にしばらく乗るわけ。で、電車の中から見える景色があって、たまにビルの中に人が見えるわけよ。でも、一瞬なわけ。ぱって通りすぎた中で。でも俺からしたら一瞬だけどさ、その人にはその人の人生があるわけで。向こうからしても、通りすぎた電車の中にぱって俺が見えたとしても一瞬なんだけどさ、それぞれの人生があるわけじゃん。もしかしたらその人は、上司に怒られて今めちゃめちゃへこんでる状態で、すごい絶望的な状態で過ごしてて、ぱって見えたその電車っていうのかもしれない。俺は今から塾行くっていう気持ちで、まあ塾行くのはちょっと憂鬱だったから、俺もちょっと憂鬱な景色のうちの一コマであって、その中で俺はその人の人生についてちょっと想像してる。

そうやってさ、なんか、それぞれの立場でそれぞれの見方があってそれぞれの世界があるからさ、それが交錯するってのは、それだけでなんか、めちゃめちゃ恥ずかしい風に言うと、ある意味奇跡だと思うのね。笑。だから、交錯した時点で興味持つんだよね。
なんか、、、あの人の裏にはなにがあるんだろうとか、どういう人生を歩んできたんだろうとか、一気にそういうレベルまでいっちゃうんだよね、もう。しゃべった人ともなるとすごい興味がわいちゃうんだよね。だから、何に対してでも、”興味がない”っていうのは非常に悲しいことだと思うんだよ。

ソウダ:
ふむ。すっごくわかります。僕も興味範囲広い方だから。
ただ、あえて反論するとね。
現代的な文脈から言うと、たぶんその”奇跡”みたいなものが、ありふれだしてるわけですよ。多分。

yj:
うんうんうん。

ソウダ:
で、まあいわゆる情報過多な時代なわけですから。

yj:
そうですね。はいはい。

ソウダ:
触れ合う接点が増えているという風な前提があったとして、そうなってくると結局、でも時間は有限であり、やれることには限りがある中で、”興味がない”っていう取捨選択をしないと、やってられないわけじゃないですか。

yj:
そうかなあ?

ソウダ:
いや、そうだと思うんですよね。だって何かに興味を持つってことはそれに時間を取るっていう事だから、結局何かを捨てなくちゃいけないと。そうすると、”興味がある”っていう文脈の裏に、わざわざ言わないけど興味なく流れていってるもの、っていうのが絶対あって、それを”興味ない”って表現するかどうかというのも取捨選択になってくるんだと思うんですよ。

yj:
うんうん、そうだね。

ソウダ:
それは別に”興味ない”って言わないけど、興味ないから流れてしまってるってものもその裏にたくさんあるわけじゃないですか。だから、それは自己防衛として”興味ない”っていう発言になるのも、まあしょうがないかなっていう風にも思うの、僕はね。

yj:
んー、なるほどね。

ソウダ:
だから、「どこまで線引きすんの?」ってなった時に、、、まあだからしょうがない、それはしょうがないかなと思うんだよね。笑

yj:
うん。確かに。”評価されてない”っておれ言ったけど、今ソウダが言ったように、”興味ない”っていう発言をしたか、しないかですでに取捨選択になっているってことだね。”興味ない”って発言をした時点でもうそれについて触れてるわけだから。

ソウダ:
うん。

yj:
でも、それってさ、拒絶になっちゃってるわけだよね。

ソウダ:
まあ、そうだろうね。

yj:
だから例えばさ、サッカーのコンフェデレーションズカップやってます、と。で、ずーっとやっててさ、みんながすごいその試合についてをつぶやいてるわけじゃん。
それ見てそれに対してさ、「私全然それに興味ないんだ。」といったとしたらさ、触れてるにもかかわらず拒絶したって事じゃん。

ソウダ:
うーん、まあそうだね。

yj:
で、多分本当の意味で”興味がない”っていうのは、無意識に流れていっちゃってる。

ソウダ:
うん。

yj:
触れてもいないというか。

ソウダ:
それは、まあいいと。で、触れてるのに興味がないっていうのが寂しい?

yj:
そうそう、悲しいなと。

ソウダ:
それで言うと、見えてる部分で”興味ない”って判断する前に多分、3個か4個くらい、経過があるんだよね。
例えばそのコンフェデレーションズカップに対してだったら、皆が騒いでいるって事であるとか、サッカーそのものにまあ、とりあえず興味がないとか、それは今までサッカーっていうものがさ、学生の時に例えば授業で触れたりするわけじゃない?男子だったら授業でプレイするかもしれないけど、女子だったら、その頃の時点でもう興味なくなってたりとかして。
とかっていう中で”合わない”、”自分には合わないな”っていう”興味ない”っていう所で、結果コンフェデレーションズカップに興味ないってなるわけじゃん。
それは例えばそろそろAYANOの話にすると、そういういくつかの接点の中に”AYANO”っていう接点があって、で表面に出てくる接点ってもういくつか数える程しかないわけじゃん。
それこそバンド名であるとかね。笑

yj:
うーん、バンド名突っ込むねー昔から。笑

ソウダ:
うん。笑。機会損失だと思うから変えた方がいいと思ってるもん。笑。
で、まあバンド名であるとか。どこかで誰かがAYANOに対してTwitterでしゃべってるとか、一回ライブに行った人もいるだろうし、例えばリリィノートの対バンでたまたま見たっていう人もいるだろうし。
その中で表面的な部分で”興味ない”っていう所を、”興味ある”っていう所まで引き込めるかどうかがその人たちの力じゃないかなと。

yj:
うん。まあ、興味を持ってもらいたい側の力でもあり、興味を持つ側の人自身の力もあるよね。

ソウダ:
まあそうだね。だけどそれは、大衆性に対してある程度受け入れられたいと思っている人たち、”ビジネスとして成功したいかどうか”っていうのは置いておいたとしても、ある種興味を持ってもらって、聴いてもらって好きになってもらいたい、っていうのが大前提にある中で言うなら、それはしょうがないと言うかさ。
一番表面的な部分で判断されることは、もう受け入れなくちゃいけない事なわけじゃん。そこはもうエンターテインメントであれアートであれ、表面上で判断されてしまうのはしょうがない事だから。
そこで、なにかしら引っかかってもらえるように、作品なりブランディングなり、作っていかなきゃいけないという自己責任だ、っていう風にとらえなくちゃいけないんだろうね。きっと。

yj:
うんうんうんうんうんうんうんうん。

ソウダ:
とは思うわけですよ。笑

yj:
はいはい。

ソウダ:
という点で言うと、だいぶ元に戻るけど、それはじゃあAYANOのオナニーであるっていう風に見られてしまうことが、”嫌い”とか、”もう行かない”っていう判断のひとつだとして、”興味ない”っていうのも「もう行かない。」っていうのと同じ所だととらえて、それはもう、そうなってしまった自分らの責任だととらえるしかなくて、っていう所じゃないかなあ、と。そして、、、それで、じゃあどうしよう、と。笑

yj:
まあ、どうしようって言った所で、いまいまは、興味を持つとか、”興味無い”って感じさせない為の判断材料がやっぱり、俺らにはまだ少ないなっていうのがあるから、それはちょっと変えていきたい部分はあるよね。

ソウダ:
なるほど。



—-変えたくないもの、歩み寄るもの、お客さんに求めるもの。

yj:
だけど俺らのメインコンテンツである、”音楽”、そのものを変えるつもりはサラサラなくて。

ソウダ:
うんうん。

yj:
だから、、、なんて言うのかな、まあ俺は結局自分を信じてる、信じてやってる、わけだからさ。

ソウダ:
はい。

yj:
ある意味その、、、なに、、、あの、、、願望としては、万人に受け入れられると思ってる訳じゃん。笑、、、そういう節はあるわけじゃん?

ソウダ:
うん。

yj:
諦めとかもある部分あるけど、なんか、でも、やっぱりそうなって欲しいし、そう信じてる部分があるから。だから、きっと受け入れられなかったんだったら、そのどっちかが何かしらの理由で上手くいかなかったわけじゃん。作品に関して言えば、作り手としての感覚を伝える事、もしくは景色を描いて伝える事、そのどっちかが。

ソウダ:
うんうん。

yj:
それに対して俺らが用意できるものはまだまだあるなと思ってる。それは作品に関しても、もっとその外側の部分も。

ソウダ:
うん。なるほど。

yj:
なので例えば、また作品に関してになるけど、今後はプログラムに曲解説、、、曲解説っていうか、曲のプロローグ的な文章を載せたりとかしようかなと思う部分はあるよね。
(※実際に夏公演以降、プログラムに掲載されるようになりました。)

ソウダ:
曲解説的な。プロローグ的なもの。うん。いいね。

yj:
でもでも、俺らが歩み寄れる部分っていうのはさ、限られてるし、別に俺はだからといって音楽性を変えたいとは全く思わないから、だからそこまでやって、ある意味用意できるものだけ用意して、それで無理だったら、まあ、それは仕方ないかな、って思ってる。

ソウダ:
うんうん。

yj:
それでね、その時は、あのね、ちゃんと「嫌い。」って言って欲しいんだわ。
「興味無いから、、、。」じゃなくてね。

ソウダ:
あー、そういうことね。

yj:
そう。で、オナニーだったっていうのはさ、なんかさ、、、あまりお客さんに求めてちゃいけないのかもしれないけどでも、でも逆にね、俺は、、、求めるべきだと思うの。あの、、、思想とか音楽とかって、そういう話だと思うから。

ソウダ:
うん。

yj:
「じゃあ君はどんだけそのAYANOを理解しようとしたの?」っていう風に思うんだよね。だから、多分理解しようとしたけど無理だった場合は、「駄目だった」とか「嫌いだった」っていう、そういう発言に変わると思うんだよ。

ソウダ:
うん。

yj:
「オナニーに感じた」っていうのはまだちょっとなんか大分余地があるなと思うんだよね、その発言においては。だからその為に俺らが用意できるものは用意するし、、、っていう感じかなあ。
だから今後もね、もう少しそういう、理解を深めてもらえるようなものを用意していこうと思いますわ。

ソウダ:
うんうん。

yj:
とにかくね、”興味ない”のと”嫌い”って、、、俺は結構差があると思ってて。
その例えばさ、嫌いなミュージシャンとか、、、ミュージシャンってあれだよ?自分の身の周りの人とかって意味じゃなくて、ただ”嫌いな音楽をやってるミュージシャン”っていうのはやっぱりいるわけで、でも大体そういうのってね、みんなが「良い良い!」とか言ってたりしてさ、「じゃあどれどれ、、、」ってまず見るんだよね。YouTubeとかで音楽聴いたりとかして。それで聴いたうえで「いやあ俺は嫌いだなあ。」っていう風に、やっぱり、”嫌い”っていう結論まで持っていくんだよね。
でもそこで「興味がない。」っていうのは何かその対峙することに対する逃げだと思うんだよね。で、それはなんか、なんていうのかな、お客さんであったとしても俺はそれ、やるべきだと思ってるし、、、うん、、、だからそれってやっぱり、生活と芸術が離れてしまってるからそういうことになっちゃってるんだと思うんだよね。
自分の生活に密接したものだったら、絶対みんな好き嫌いの判断ってある程度できてると思うんだよ。
でも、そこまで持っていかれてないっていうのがやっぱり、、、ちょっとね。俺らも悲しいし、その人も悲しいよね。って思うんだよね。

ソウダ:
うん。すごくわかる。言いたい事はすごくわかる。ただ、、うーん、、、僕は今何かしら違和感を感じていて、、、。なんだろ。うーん、とは言え、とは言えね、大前提として、、、そこまで、、、ない、じゃん。笑 ないじゃん?笑

yj:
あはははは。笑 ああ、好き嫌いを判断つける人がいないっていうね。

ソウダ:
いや、うん。日常生活において、現実的に考えてね?そこまで考える人って、いないじゃない?
まあもちろん、yjは、そこまで考える人がいない、っていう事自体に警鐘を鳴らしたいんだと思うんだけど、まあ、とは言え、、、という。笑。特にこれを読んでもらうにあたってね、読んでる時の感じを想像したりすると、まあ机上の空論ばかりになっても仕方ないかなって思うとこもあって。

yj:
うん。

ソウダ:
だとするならばやっぱり、さっきの話の、”AYANOの楽しみ方”じゃないけど、無理にでも興味を持たせるっていう所までは、こっち側のやる責任の範疇だと思うんですよね、僕は。もちろん、リスナーに求めたいものっていうのもあると思うんだけど、とはいえまあ、現実的なところ、という部分でいうとね。

yj:
うん。

ソウダ:
そこまで深く考えない人達に対して、”興味がない”っていう所をもう一歩、「じゃあ興味持ってよ!これだけの、こういうことしてるんだからさ。」って、もう一歩踏み込む所までは、こっち側の責任な気がするのね。

yj:
うん。

ソウダ:
それを嘆いていても、きっともうしょうがないというか、もう、そういうものだから。そういう人達が悪いって言ってるわけじゃなくてね、まあしょうがないと思うし、そこは。
だから、”AYANOの楽しみ方”的な、WEBの1ページで分かる、曲がすぐ流れたりだとか、こういうことをしたいんですっていう説明だとか、他にももっと、ある種強引に一歩二歩踏み込めるだけの材料を用意して、「ここまでの範疇を見て、これでもライブに行かない、これでも興味持てない、って判断になっちゃうんだったらそれはもうしょうがないかな。」って思えるものを1つ作るべき、というか。うん。

yj:
うん、なるほどね。

ソウダ:
そこの歩み寄り、知ってもらうっていう、やってる側の責任でいうとさ、「ここまで見てもらえれば、それで駄目って言われるんだったらもうしょうがない。」みたいな諦めを持てるようなものを何か1つ作って、僕はそれが例えば1ページのその、YouTubeなり、考え方なりが載ってる1ページで完結できるようなもの、だと思うんだけど、だからそれを「ともかく見てください。」って宣伝する、と。
そこで、”チケットを買う”"CDを買う”っていうのが最後にボタンとしてあって、「そこに飛んでくれないんだったら仕方ないです。」っていうぐらいの熱意を表して、一回告知してみるとかね。まあなんかそういうことかなあっていう気はするんだよね。例えば。

yj:
まあそれはね、常々思うよね。だから諦めきれないんでしょうね。
それがまだ、クリティカルに自分達の中で満足にできてないし、終わりがないようなとこもあるし、だから諦められないっていうのがあるんでしょうね。

ソウダ:
まあまだまだ母数も少ないしね。

yj:
うん、そうそう。

ソウダ:
名前すら知らない人たちもまあ、まだまだ単純に多いわけだしね。

yj:
そう。



—-続けることの重要性

yj:
それは結局、ある程度続けなきゃいけないっていうのもあるし、まあ何よりも”続ける”ということでまた表現されるものもあるから。

ソウダ:
もちろんそうね。僕ら当時、リリィノートでmixiでさ、全然知らないお客さんを誘うような時に、割と近いことを言ってて。曲を聴いて判断してもらって、まあ好きじゃないって思ったらもうしょうがないので、このメッセージを、、、全然知らない人にね、このメッセージを見てもらって、まあその”文体”というかさ、文章の内容自体でもさ、きっとまず第一判断あるわけじゃない。

yj:
そうだね。

ソウダ:
それで、メッセージ見て、それで曲を聴いてもらえないんだったらもうそこで1つしょうがない、と思ってて、それでそこをクリアして、曲を聴いてもらえて、それでも「ああ好きじゃないな。」と思ってしまうんだったらもうそれはしょうがないです、って書いてて。だけど、それで「良い」と思ったら、少しでも、ライブに来るなりCDを買うなり、して欲しいです、みたいなメッセージを送って。で、1人ずつだれだれさんへ、っていうのをつけて、みたいなことをやってたんだけど、まあそれで結局、ほとんどライブしに行けないような北海道の人とか福岡の人とかでも、「好きだ」って言ってCD買ってくれた人とかもいるし、「普通はこういうメッセージとか来てもスルーするし、大体一斉メールみたいなものだから、誰に対しても内容一緒なんでしょって感じだとは思うんだけど、そうじゃないような部分を感じたから聴いてみました。」みたいな反応もいっぱいあったし。まあそういう歩み寄り方というか、まずこちらから一歩目を踏み出す事で開ける部分もあるかなあ、という気は、まずするんだよね。

yj:
うん、うん。

ソウダ:
それで結局そのメッセージから3年経ってからだったけど北海道で初ツアーして、来てくれた人とかもいたし。

yj:
あー、いいですねえ。

ソウダ:
そうそう。なんかそういう、それが”続ける”っていうことじゃん。例えば。

yj:
そうだね。

ソウダ:
続けることのよさってそういうことだと思うから、まあなんというか、、、そういう事だよね。笑

yj:
まあ後はその、一回は拒絶したりするかもしれないけどさ、続けることによって「あれ、なんだこいつ。まだやってんだ!?」みたいな、「なんで辞めないのかなあ?」って思ってても、次第になんかさ、心変わりも出てくるわけじゃん。意外と逆にそういうので気になっちゃってさ。笑 「なんで辞めねえんだろ?」とか言いながらよくよく聴いてみたりなんかしたりして。

ソウダ:
うんうん。時間が経って好きになる事とかもよくあるよね。いや、ab initioなんかさあ、僕らが一番最初に知り合った時、まーーだまだなライブしててさ。笑。まあ今だから言うけどね?笑。まあアレだったけども、飲み会にもよく顔出すし、久しぶりにライブまた見るか、って感じでアズメルトの対バンの日に見てさ、「あーすげえ、良くなったなー!」みたいに思ったんだけど。それってしっかり続けてるからでね。

yj:
うん、うんうん。笑

ソウダ:
でもそういうのはあるよね。当たり前なのかもしれないけど、「あー、3年経って成長したなあ。」みたいな。笑

yj:
まあね、そうね。そういうのあるよね。

ソウダ:
そういうのも絶対あるし。もちろん成長とかじゃなくても、知り合いのバンドとかじゃなくても、自分の心境が変化して好きになったりもあるしね。

yj:
うん。そうだね。なんか全然ライブ見たことないけど、いっつも飲み会にいるよねとか。

ソウダ:
そうそうそう。そういうのも大事だよね。

yj:
「じゃあ一回ライブ見に行くよ」みたいになるよね。笑

ソウダ:
うんうん。笑。



—-「これが今の自分なんです!」ってハッキリと言える状態になった

ソウダ:
まあちょっと話がそれたので次に行きますと、、、えー、バンドの成り立ちなどを聞いてきて、公演の話に行くわけですが、

yj:
はいはいはいはい。

ソウダ:
プラネタリウム公演、というかライブハウスを離れて、ライブハウスじゃない所でのワンマン公演の活動に入っていくわけじゃないですか。それで、さっきの”当たる”、”当たらない”の感覚みたいな話から、たぶん繋がってくると思うんだけど、ここに。笑

yj:
うん。

ソウダ:
さっきの話の流れで言うと、”感覚の共感か、景色の共有か、どっちか当たって欲しい”っていう所があって、音楽性として割とエンターテインメント寄りな所から、”アート寄り”な方向に行こう、っていうことになってくるじゃないですか。

yj:
うんうん。

ソウダ:
で、そうしてきて、今、ライブハウスを離れて、、、みたいな文脈でいうと、反応とかどういう風に感じてますか、最近は。

yj:
そうだね、、、まあ単純にまず嬉しかったのは、ライブハウスに来なかった人たちが来てくれたっていう。

ソウダ:
ああ!そうなんだ。

yj:
ライブハウスだけ、、、ライブハウスでやりますっていうだけで、「じゃあいいや。」っていう人もいて、既成イメージもあると思うんだ。
音がでかいとか、煙草の煙がすごいとか、座れないとか、酒がまずいとか、色々と。

ソウダ:
あるね。笑

yj:
そういう人達が来てくれたっていうのはまず嬉しかったかな。

ソウダ:
うんうん。

yj:
で、自分たちの感覚でいうと、やっぱりその、なんていうのかな、無理のない音楽をやるようになったというか。
ライブハウスで活動してた中の、末期頃の活動っていうのは、、、無理があった所もあるん、、、ですわな。活動してて。

ソウダ:
なるほど。

yj:
その、、、やりたくない事をやる、みたいな。

ソウダ:
うん。

yj:
そういう部分もあって、、、

ソウダ:
まあニュアンスとしてね、そういう部分があったわけですね。はい。

yj:
そうそう。そうなんだけど、今はやっぱり無理なく、その、嘘なく、いや別に嘘があったわけじゃないんだけど、前も。笑

ソウダ:
うん。笑

yj:
まあでもその無理なく「全てこれが俺です。」って言えるようなことに、今はなってるんですわ。

ソウダ:
お客さんとアーティストが一歩ずつ歩み寄る、んだとしたら、二歩歩み寄ろうとしてるっていうこと?

yj:
ん、俺ら?

ソウダ:
うん。

yj:
いや、やりたくないことっていうのが、その”無理に歩み寄る”っていうことだったんですわ。

ソウダ:
あー。はいはい。なるほど。

yj:
だから今、、、あ、音楽的な話ね?”運営”じゃなくてね。

ソウダ:
うん。

yj:
そういう意味では、二歩歩み寄ったんじゃなくて、歩み寄らなくなったんだよね。

ソウダ:
はいはい。

yj:
そう。歩み寄らなくなって、「これが今の自分なんです!」ってハッキリと言える状態になったというか。

ソウダ:
うん。

yj:
例えば親にね、CD聴かせるにしたってさ、”ブラックホールダンス”を聴かせるのと、今の、例えば”彗星がくる”を聴かせるのとっていうのは全然心持ちが違うの。

ソウダ:
ほう。それは?

yj:
あの、、、”ブラックホールダンス”だと、「こんな面もありますよー。」的な感じなの。

ソウダ:
ああ、なるほど。

yj:
なんだけど、”彗星がくる”だったらもう、「これなんです!」って言えるんだよね。

ソウダ:
その違いは大きいね。自分の中では。

yj:
うん。だからそういう風にやるようになって。まあ今音楽性的には、そういう状態にあります、と。で、そう言える音楽をやるようになってから、引っかかってくれる人が意外と増えたっていうか。

ソウダ:
おお。そういう実感あるんだね。

yj:
うん、意外とその年齢層もまた高かったりとかするんだけど。笑

ソウダ:
まあ、そりゃそうだろうね。笑

yj:
でも、そういうのはちょっと、嬉しかったかなっていう。

ソウダ:
なるほど。

yj:
そうだね。それを受け入れてくれる人が、、、まあ動員こそ少なかったけど、「幅が広がったかな。」って言う気はする。

ソウダ:
あー、お客さんの?

yj:
うん、お客さんの。なんか例えば、また家族での話なんだけど、うちのばあちゃんも来たのね。普通だったらうるさいとか感じるじゃん、ああいうのって。

ソウダ:
はい。

yj:
でも、全くうるさく感じなかったんだって。それは多分なんか、、、うまいことやれてるって言うとなんかちょっと違うけど、、、なんか、まあ少なくとも受け入れられたっていうことなわけじゃん。”うるさい”っていうのはある意味拒絶反応でもあるわけだから。でもそういうのが生じなかったっていうのは「幅が広がったかな。」っていう。聴いてもらえる層が。

ソウダ:
うんうん。それに、さっきの話と繋げると、これで”嫌い”とか”駄目だ”って言われるならもうしょうがない、って割り切れるぐらいのことをやっているよ、って自覚してやれてるってことだよね?

yj:
そうだね。音楽的な面ではそうだね。そうですそうです。

ソウダ:
なるほど。

yj:
まあその運営的な面では足りない所はあると思うけど。

ソウダ:
うん。音楽的な面で、自分に言い訳ができなくなっていくという純度ではすごい良いことだよね、やっぱりそれはね。

yj:
そうだね!そうだね。まあそれはやっぱりhy-alineの頃からの流れとしてあって。その、言い訳をしたくない、人のせいにしたくないっていうのは。

ソウダ:
はいはい。

yj:
うん。それは感じてます。

ソウダ:
なるほどね。



—-ライブハウスでの活動と、自主興業との大きな違い

yj:
うん、まあそれと同時に感じてるのは、、、まあある意味”自主興行”になったわけですよ。そうなったことによってやんなきゃいけないプロモーションっていうのは、より一層やっぱり強くなったし、考えるようになったよね。

ソウダ:
うん。運営面ね。

yj:
なんかこれまではライブハウスという場所があったからさ、ある程度知られた場所で、「ここでやります!」って言えば、もうある程度それだけで見えるものってあるじゃん。

ソウダ:
はいはい。

yj:
「ああ、このライブハウスでやるんだったらこういうバンドね。」とか、「このバンドと共演だったらこういうジャンルなんだろうな。」とかわかるから、それだけでも「ここでやります!対バンはこれです!」って言っただけでもうある程度見える指標っていうのはあって。

ソウダ:
うんうん、そうだよね。

yj:
そういうのが皆無になったわけですよ。

ソウダ:
なるほど。それこそ、そこすらも言い訳できなくなってきたわけだね。

yj:
そうそう!そういうことそういうこと。

ソウダ:
そうだねえ。

yj:
だから全てを、音もそうだし、環境だったりっていうのも、全部自分達の責任になったからこそ、自分たちが良いと思って信じてやってるわけだから、言い訳とかも出来なくなってくるしね。
正直対バンライブとかの時にさ、多少「今日は対バンがあんまりよくねーから。」とか、”よくない”っていうのもまあ全部自分の指標だから、対バンさんにはすごい失礼な話ではあるんだけどね、そういう日ってどうしてもあるわけじゃない?

ソウダ:
ある!それはしょうがないけど、あるよね。

yj:
自主企画があって、その手前に対バンライブがあって、、そしたらどうしてもさ、企画にウエイトを、、、持って行くじゃん。
どちらかというと企画来て欲しいっていう気分にもなるわけじゃん。

ソウダ:
はい、はい。

yj:
だからそうなったときにさ、その手前のライブはじゃあなんなんだ!っていう話になるわけじゃん。笑

ソウダ:
なんなんだってなるねー。

yj:
それはなんなんだって話なわけだ。そこにその、要するに、ちょっと責任回避したい部分があるわけじゃん。

ソウダ:
責任を回避したいねえ!したかった!わかるよー!笑。

yj:
だけどそういうのがなくなったよね。笑。まあなんか多分一回ソウダも言ってたと思うけどさ。

ソウダ:
うん、僕も昔日記とかに書いてたね。オススメライブってなんだ、と。オススメじゃねーライブがあんのか、と。まあでも実際あるにはあるんだろうねえ。笑。運営側とすると、ね。笑

yj:
あはははは。笑。いろんな関係でそのライブ出なきゃいけないとかあるじゃん!関係性の問題とかで。

ソウダ:
あるねー。はい。

yj:
だから今はもうそういうのがなくなったからこそ、まあ100%オススメできるコンサートではあるし、逆にだからこそもっともっとプロモーションしないといけないと思うし、やり方も考えなきゃいけない。っていうのをすごい考えるようになったねえ。すごく。



—-純度の高さ

ソウダ:
うん。でもそんな中でもたまにライブハウス出るわけじゃないですか。

yj:
あ、出ますね、はい。

ソウダ:
その辺どういう風に思うんですか?

yj:
それはですねー、その関係性において、向こうがAYANOをとても欲してくれるから、というか。

ソウダ:
ああ。そういうものばかりになってくるわけだ。

yj:
そうそう。

ソウダ:
そういう風に、どうしても出て欲しいって呼ばれる形のものにしか出なくなったから、それもまた良い。ってことだよね?

yj:
そうそう!そうそうそう!そういう関係になった。要するにね、「この日バンド足りねーから、若い奴らにちょっとお前ら、示してくれ!」みたいなのって、それは政治的な出演理由なわけじゃん。
「ああ良いっすよ。お世話になってるし。」みたいな。
良き時に良き所でイベント打ってくれたりしたから、俺らもじゃあその箱にね、還元したいから出るよって、若干政治的な意味で出るのもあったわけじゃん。

ソウダ:
はい。

yj:
でもさ、そこでじゃあ「俺らだけを考えてプラスがあるかどうか?」っていうと、多分ないんだよね。

ソウダ:
あ、でもまあそれはそれで悪いことじゃないと思うけどね。一応言っておくと。

yj:
うん。もちろん。それは箱との関係もあるし、別に俺はそれ嫌いじゃないしね。それ自体は。

ソウダ:
そうそう。悪いことじゃない。

yj:
うん。なんだけど、まあ今はもっとなんか、より”純度の高い”っていうか、音楽として「君らが欲しい」って言われて、「はい、出ます。」っていう感じなんだよね。笑。
もう、それだけの関係なんだよね。

ソウダ:
はいはいはいはい。いいね。それはキーワードだね。
“純度の高さ”。うん。

yj:
そうそう。求められてる、その「何を求めらてれるか?」っていうと、「俺らの”音楽”を求められてる。」っていうところだよね。
だから前は、まあ音楽的なジャンルはいいとして、例えば「演奏が上手いから、そういう所を若手に見せてやってくれ。」とかそうなるとさ、どうしてもちょっと、音楽的に必要とされてるかっていうと、”純度が低く”なっちゃうわけだよね。

ソウダ:
うん。

yj:
で、その「音楽もまあいいけど、でもお前らの演奏力が欲しくてさ。」って言われると、AYANOの音楽って言う意味ではちょっと純度が低い。まあ低いというか、、、高くない。なんだけど、今出てる所っていうのは、基本的に高い純度で求められてるとこだけに、出るようになれたかなっていう。

ソウダ:
なるほどね。そうかそうか。。。
更に言うと、そういうコンサート的なものがあって、ライブハウスでもやるっていうと、まあライブハウスでやるのを見たいなっていう気持ちももちろん、例えば僕もあるので、それは絶対良いよね。
そういう時はそういう日に来ればいいよねっていう選択肢が増える意味では。良いよね。

yj:
そうだね。まあ、やり方は変えないんだけどね。
だからそれはちょっと一回話になったことはあって。「ドラムセンターでやらないか?」って。まあ色々、転換と対バンの理由があって。
でも、それだったら結局出る意味がないから、「やっぱり、いつもの形でやらせてくれ。そのかわり、曲だったらいくらでも削りますから。」って言って。「俺ら3曲でもいいんで。」って。3曲でもいいから、その、間違ってないっていうか、さっき言ったような、「100%これが俺らです!」って言えることをしたいから。

ソウダ:
なるほど。純度の問題ね。

yj:
そう。「もし、転換に時間がかかって押してしまう可能性があるっていう理由だったら、曲は全然削るんで。」って。
だけどさ、ただ、なんていうのかな、PAさんが面倒くさいだけっていったら、それはちょっとまた話が違うじゃん。それは。だからそういう風な形にさせてもらってる、今は。

ソウダ:
うーむなるほど。すごく細かい話だけど、それはすごく象徴してるね。
「純度の高いものを3曲やる方が、ポジションを不本意なもので5曲やるよりよっぽどいいよね!」って感じだよね?

yj:
そうそうそう。俺はそう思う。

ソウダ:
それで判断されるわけだから。

yj:
そう。で、結局そこで譲ってたら、また変わらないんだよね。前と。活動が。

ソウダ:
はいはいはい。しかも多分その、ポジションが違うことによって影響する所って実は大して無いのかもしれないけど、それでも自分たちの中の、まあいうたら誇れる部分、みたいな、これに自信を持ってやってます、、、っていう純度の高さで言うと、そっちの方が高いから、っていうのは、選択基準・判断基準の中にすごく大きくある所だね。

yj:
うん、そうだね。

ソウダ:
あー、すごい良い話ですな!これ。トータルとして。良ーい話だなーこれ全部!

yj:
あはははは。笑
うまくまとめてください。笑

ソウダ:
いやいや、充分まとまってます。これ。そのまま出します。笑。良い。良いわー。なるほどね。

yj:
はい。



—-弦楽隊を加えたAYANO

ソウダ:
で最後に、次の話ですけど。次の違いといえば、やっぱり弦楽隊じゃないですか。

yj:
はい。

ソウダ:
それはやっぱりこう、、、”AYANO”っていうものの曲を作っていく中で、足りないピース、というか、頭の中で鳴ってる音としてやっぱり弦楽器もあって、それを再現する為に追加するっていう解釈で良いわけですか?

yj:
そう、、、ですね。足りない部分。そう、、、だね。今は最低限でやってると思う。最低限で確実な、、、確実なっていうか、純度の高いものをやってるので、それにまだ隙間は感じてるんだよね。

ソウダ:
はいはい。

yj:
だから、そういう意味で足りないピースというか。そうそう。ディテールをよりブラッシュアップするために。

ソウダ:
うんうん。それはやっぱり鳴ってる曲と鳴ってない曲の差みたいなのはある?

yj:
鳴ってない曲もあれば、ってのは要するにもう「今で完璧。」っていう曲もあればってこと?

ソウダ:
うん。もちろんさ、ヴァイオリンが入ってない曲もあるんだよね?

yj:
あー、ありますあります。

ソウダ:
あるよね?本番も。で、それは結局、、、

yj:
単純に、ヴァイオリンじゃないっていう意味かもしれないしさ。

ソウダ:
ああ、そうだよね。なるほど。

yj:
そうだね。今回はヴァイオリンというものを使って、その、ヴァイオリンが、、、”頭の中で鳴ってるものとしてヴァイオリンが的確”な曲に、参加してもらってる感じ。

ソウダ:
なるほど。それは何曲ぐらいあるんですか?最終的には。

yj:
それは、半分以上ありますね。多分、7曲あるのかな?

ソウダ:
そっか。公演は全部で、今何曲想定?

yj:
まあ12曲想定ですね。

ソウダ:
ふむふむ。そのうち7曲。

yj:
7曲。でもわからない、もっと増えるかもわからない。それはちょっと練習してみてからね。具合をみて。

ソウダ:
なるほど。それっていうのは、曲を作ったタイミングでもう頭の中で鳴ってるんですか?入れてみて、っていうのももちろんある?

yj:
鳴ってるっていうのは、あるね。あるねえ、うん。あるし、今回実際にやってみて気付いたのが、鳴ってたからこそ、もう一人のギターにそれを委ねてたんだなっていうのを感じる。

ソウダ:
ああ、ふむ。

yj:
っていうのは、、、結構繰り返しが多かったりして。もう一人のギターっていうのは。

ソウダ:
うん。

yj:
で、その中でやっぱりね、帯域が被るんですわ。ヴァイオリンと。すごく。

ソウダ:
はい。

yj:
だから、少なくともヴァイオリンの帯域で鳴ってる楽器が欲しかったんだなっていうのはまず、よくわかった。

ソウダ:
なるほど。ヴァイオリンが、というか、その帯域の音が、欲しかったと。

yj:
うん。で、フレージングとして鳴ってるかどうかっていう話だったんだと思うんだけど、それは、鳴ってるから付けたものもあるし、今は鳴ってないけど、なんていうのかな、、、「まだ今の曲のこの状態は100%じゃない!」っていうものに対して、、、とりあえずヴァイオリンをつけてみたっていう曲もあるけどね。

ソウダ:
うんうん。なるほどね。

yj:
そうだね、、うん。

ソウダ:
じゃあ、、、楽しみにしてます!

yj:
あはははは。笑
もうそれはそれでいいの?

ソウダ:
うん、あとは実際聴いてみたほうがいいな、と。それとも何か言い残してることある?笑

yj:
まあ大丈夫だと思います。笑。
あっ、まあだから一つ言いたいのは、最近の普通のロックバンドでもさ、「ヴァイオリン入ります!」とかさ、「特別編成でやります!」とかあると思うんだけど、、、そういうのって正直ちょっと取って付けた感があったりとかするじゃん。

ソウダ:
はいはい。

yj:
だからそういうのではないと言いたいね。笑

ソウダ:
うん。笑

yj:
そういうのではない。やっぱり、そう、自分で譜面を書いてるし、だからそういう意味で「ちょっと入って、適当にフレーズ付けてみてよ。」っていうのでは、ないです。っていうのはすごく言っておきたいかな。
ちょっとまあ悲しいことにそういう、、、まあそれ自体も面白いとは思うんだけど、そういうバンドが非常に多い場合もあるので、、。だから要するに「一回限りのスペシャル」的な感じじゃなくて、「そもそももう次はレコーディングそれで行くし、今後はそう行きたい。」って言えるぐらいのものを作ってるつもりですわ。

ソウダ:
ふむふむ。なるほどね。

yj:
うん。。。っていうとこかな。大丈夫?笑

ソウダ:
大丈夫!いや、聞き残しがないかなあと思って考えてたんだけど、もう充分聞けたからいいや、と思って。

yj:
ああ、そう。笑

ソウダ:
まあ出来れば定期的にやっていきましょう。はい。全公演後の事とかは、また次に。

yj:
あーなるほど。わかりました。じゃあ俺もまた楽しみにしてます。

ソウダ:
うん。これ楽しいし、絶対良いと思うし。

yj:
ふふふふ。笑

ソウダ:
というわけでありがとうございました!

yj:
はーい。ありがとうございました!


後記

以上でyjインタビュー後編が終了です。
そしてこれで、AYANOインタビューは終了です。

yjインタビュー後編を出すのが大変遅くなってしまいました。楽しみにしてた方がいたらごめんなさい。そしてメンバーにもごめんなさい。

このインタビュー自体を行ったのは、2013年の夏前頃だったので、1年以上が経ってしまいました。
話題にしているのが、弦楽隊を加える前の状態の事だったりするのですが、現状はあれから1年経って、ヴァイオリンはAYANOにとってかかせない音になっています。
ただそれも含めて、その当時話していた事が色々と実現してきている事を改めて確認出来るインタビューとなりました。

色々と入り組んだ、少し把握しづらい内容もあったかと思いますが、yjの思考を深く引き出す事の出来た、いいインタビューになったと自負しています。
また改めて、AYANOにとっての次の動きがある時に、再度話を聞きたいですね。

これでひと段落したので、また違うバンドのインタビューも出来ればいいなと思っています。
自薦他薦問いませんので、連絡頂けると嬉しいです。

読んで頂いてありがとうございました。



みけフェス2014
http://mikefes.com/

最後にひとつ告知です。
ソウダがボーカルギターをしているバンド”ODD FOXTROT”が9/6(土)に吉祥寺で行われる「みけフェス2014」に出演するのですが、AYANOも出演します。
AYANOの時はもちろんVJもします。

AYANOとODD FOXTROTを両方一度に見られる機会、なかなかないかと思いますので、是非いらして下さい。
よろしくお願い致します。

AYANO official web
http://www.ayano-web.com/
Facebook Page
https://www.facebook.com/AYANO.COLOR


ODD FOXTROT official site
http://www.oddfoxtrot.com/