2013年10月18日

今回はいよいよラスト、ボーカルギターのyj 編です。

このインタビューについての意気込みや、ここに至る流れなどは、以前の記事
「AYANO」ベーシスト:郁 編
「AYANO」ドラマー:ソル 編
をご覧頂ければ幸いです。

ベーシスト:郁 編は こちら
ドラマー:ソル 編は こちら

冒頭のyoutubeは、ヒソミネというライブハウスで行われたライブの様子です。
映像入りのライブの様子がよくわかって頂けるかと思います。
BGMとして流しながら読んでもらえると嬉しいです。どうぞ。

AYANO 左から Drum:ソル Vocal/Guitar:yj Bass:郁
2006年結成。
日常の身近にある事象、自然、人、社会などを捉え、Vo/Gt yj の「感覚」を音で描く。
ayano-web.com




AYANOインタビュー  ボーカルギター:yj 編

ベーシスト:郁 編は こちら
ドラマー:ソル 編は こちら

ソウダ:
では。よろしくお願いします。

yj:
よろしくお願いしまーす。

ソウダ:
まず自己紹介から軽くお願いします。

yj:
yjです。

ソウダ:
はい。AYANOではどんなことをしてらっしゃるんですか?

yj:
AYANOでは、ギターとボーカルと作曲、編曲、その他諸々を、、、クリエイトしてます!

ソウダ:
はい。クリエイトしてるんですね。

yj:
クリエイトしてます。

ソウダ:
はい。ではよろしくお願いします。

yj:
よろしくお願いします。



—-AYANO結成の経緯

ソウダ:
じゃあまず、色々と過去をね、掘り下げていきたいと思うんですけれども。
メンバーにはAYANOに入ったきっかけからね、理由を教えてくださいという感じで聞いてるんですが、yjには、一番最初にAYANOを創った時の話から聞きたいと思ってます。

yj:
はい。

ソウダ:
その前にバンドを2つほどやっていたんだよね?”PV”と。。。笑

yj:
“hy-aline”。
なに、PVの所で笑って。笑

ソウダ:
いやいや。笑
PVってなんだよ!笑 ってちょっと思う。笑 なんだっけ、パッシブビットじゃなくて、、、

yj:
違う違う!惜しい。ペーパービップだよ。

ソウダ:
ペーパービップ。笑 語呂はいいよね。

yj:
そう、糸菌が”Paper”って使いたくて、で俺のTシャツに”Vip”って書いてあって、で、そしたら先輩が「Vipでいいじゃん、Vip。PaperVip。」って言って。そしたらなぜかその場のノリ的に気に入ってしまって、全員。

ソウダ:
うん。そういうノリみたいなのあるよね。

yj:
そうそうそう。

ソウダ:
で、えーと、PaperVipには現CHROTOの糸菌がいた?

yj:
糸菌いた。

ソウダ:
それ以外は?

yj:
ギターで女の子が一人、春菜っていう子がいて、もう一人松井☆修司(当時)っていうドラムがいて。

ソウダ:
あ、じゃあ今周りでバンドやってる仲間たちの中にはいないんだね。

yj:
そうだね。

ソウダ:
で、その後hy-alineが始まって、糸菌がボーカルで、yjがベースで。その時ドラムは?

yj:
ドラムは皓介だね。

ソウダ:
うん。皓介くんね。で、そこからyjが抜けて、西野が入って、しばらくhy-alineとして活動した後に皓介くんが抜けて、CHROTOになりましたと。

yj:
うん。

ソウダ:
そしてyjはAYANOを作った、と。



—-AYANO結成、決断の時

ソウダ:
で、そこからAYANOというバンドを始めますという時にですね、hy-alineではベースだったわけじゃないですか。

yj:
うん。

ソウダ:
で、ボーカルギターになろうという風に思ったのはどういう経緯があったんですか?

yj:
そうだね。hy-alineの時にも曲を作っていて、でそれで、、、

ソウダ:
あ、hy-alineの時も曲作ってたんだ?

yj:
曲、そうだね作ってたね。PVも要は糸菌と俺がメインコンポーザーであって、hy-alineでも糸菌と俺がメインコンポーザーなわけなんだけど、まあ、、、ちょっと比率が変わったんだわ。

ソウダ:
ほう。

yj:
俺の方が多く作るようになっていったんだけど、まあそれは単純に採用されたか否かと言うだけであって、別に他意はないんだけど。

ソウダ:
あ、それって何、歌詞は糸菌が書くけどみたいなこと?

yj:
歌詞は糸菌。そうそうそう。でもまあ、メロも結構任せてたけどね。

ソウダ:
ふむ。

yj:
俺も自分の中のメロは作るんだけど、糸菌が人に作られたメロとか歌詞を嫌がるタイプだったから。

ソウダ:
俺とは正反対。

yj:
ああ、ね。そうだね。笑

ソウダ:
そうね。笑

yj:
嫌がるし、別に俺も彼のメロディーラインは好きだったから、それは任せてたんだけど、ライブにおいての表現とかって意味でやっぱちょっと自分の理想とは違ったんだよね。

ソウダ:
ほう。

yj:
糸菌って結構目つぶって浸って歌うっていうか、なんていうかなー、まあ悪く言えば自分の中の世界に陶酔型なんだけど。
俺はそういうのが当時は嫌で、作った曲が、そういう事じゃなくて、そのまあ負の感情とかそういうのから何か発信するっていうものが多かったから、あまり陶酔してもらっちゃうとちょっと困っちゃうていうのがあって。

ソウダ:
うんうん。

yj:
もっとこう、剥き出しでいて欲しかったんだけど、それが叶わず、おれが辞めるってなった時に、もう次は自分で、、、もう自分でやるしかないなと思って。ってのは、PV、hy-alineときて、まあhy-alineで絶対に最後のバンドにしたい、とか思うじゃん?バンド始めた時に。そう思ってたんだけど、さらにそこからまた新しく立ち上げるってなった時に、また歴史を繰り返しちゃいけないと思ったから、もう自分で作るんだったら自分で表現するのが一番いいんじゃないかと。別に、上手い下手はあるかもしんないけど、でもそうするのが間違いないことではあるし、自己責任だし。だからそういう意味でギターボーカルになろうと思ったんだよね。

ソウダ:
なるほどね。

yj:
よく「なんでベースボーカルになんなかったのか。」って訊かれるんだけど、やっぱずっとベースだったし、ベースにこだわりを持ってたから、、、あんなのねー、歌いながら弾くもんじゃないよ。笑

ソウダ:
あー、なるほど。その時の事をもう少し詳しく訊くと、まあ糸菌が歌ってる時に「違うなー。」と思ってきたものがあるわけじゃないですか。

yj:
うん。

ソウダ:
それって、でも、メロディーと歌詞は任せてたっていう部分で、その時はやっぱり絶対そうなるじゃないですか。

yj:
うん。

ソウダ:
最初に自分が作り出したコードとかの雰囲気でイメージするもの、っていうのとは違ってきて、でそれで嫌、、、嫌っていうか違うなと思って自分でやったと思うんだけど、、、

yj:
あ、ちょっと違うんだよね。

ソウダ:
あっそうなの?

yj:
っていうのは、糸菌は別に言えば修正はしてくれるから、改めてはくれるから、だからそういう意味で、そのー、自分のしたい風にとかそういうのは折り合い付けられていたし、それ自体は割かし上手くやれてたと思う。ただ、表現の所でって事なんだよね。ライブって事なんだよね、つまり。

ソウダ:
ああ、なるほどね。



—-yjの曲作り、そしてAYANOが表現するもの

ソウダ:
どういう風に自分が作りたいものみたいなのを考える、というか、生まれてくるの?

yj:
ああ、まあ事の発端は全然安易なんだよ。例えばAYANOはリフから作るんだけど、大体俺が酔っぱらったりなんかしてる時とか、あとはほんとに悲しい時とかに夜中家でギターを弾いてたりするんだけど、そこから派生してきた音が、まずリフと言う形になって現れるんですね。それで、そこからしばらく単純に音で遊んでるんですわ。そうすると、それをやってる間にどんどんどんどん広がってくんだよね、世界が。

ソウダ:
うん。

yj:
広がっていくし、確定づいて、、、確定要素がだんだん生まれてくんだよね。だからなんか、なんていうんだろう、”一人ビッグバン”が起きてるわけですよ、自分の中で。

ソウダ:
ふむふむ。

yj:
それでどんどんいろんなものが画的に出来上がってきて、だいたいの流れを作る中で、一緒に成長していくんだけど。音数と共に。
なんだけど、ある瞬間まで来ると、先にもう画が確定しちゃうの。もうその、音が追いつく前にバーって画が形成されて、画が先に出来る。だからあとはその画に向かって音をいじっていくっていう感じ。

ソウダ:
うーん、”画が出来る”っていうのは、こう、”風景”というか、、、?

yj:
そうだね。

ソウダ:
“情景”と言うか。

yj:
そうそうそう。

ソウダ:
そういう”イメージ”、”画”、、、

yj:
そう、”画”と言うか。

ソウダ:
視覚的なものの方が最終的に向かう所にあるの?音よりは。

yj:
そうだね。

ソウダ:
なるほど。

yj:
視覚的っていうか、その時の、思った気持ちとかが”世界”になるんだよね。

ソウダ:
世界。

yj:
そう。それをあとは、音でその世界に合わせるというか、それに音を合わせていくっていう作業。

ソウダ:
なるほどね。じゃあこれは核心になっちゃうのかもしれないですけど、それはyjの中のどういう所から出てきてるんだと思いますか?

yj:
どういう所から?

ソウダ:
うん。

yj:
その”世界”がってこと?

ソウダ:
自分の中の、その”世界”がっていうのもそうだけど、自分の中のどんな思考回路や観念がそれを描き出してるのか、というか。
人生観なのか恋愛観なのか何観なのかわからないですけど、そういう何かの思想みたいなものから、出て来るわけじゃないですか。

yj:
うん。

ソウダ:
まあ絶対にどこかに共通点があると思うんだよね。それはどの辺から来るものなんだろう?

yj:
まあ”死生観”だろうね。

ソウダ:
“死生観”。
“死ぬ”、”生きる”観?

yj:
そうそうそうそう!もともとこの、”AYANO”っていうのは決定的に、最初にあったコンセプトっていうか動機っていうのが、「死に対する恐怖」だったから。俺は。
昔あった”TSUBAKI”という曲に大体すべてが書かれてるんだけど。

ソウダ:
おう。笑。すべて。笑。それなぜやらないの?

yj:
ん?それはちょっとあのー、音楽的にちょっと具体的過ぎて美しさを感じないの、俺にとって今は。まあ、、、それを具体的な形に出来たって事は大きな、俺の中で達成だったんだけど。でも、それが音楽的に美しいかっていったときには、なんか全部歌詞でしゃべってるだけみたいな。

ソウダ:
なるほど。音楽的に美しいのか、か。

yj:
よく「歌詞が良い。」とか聞くけど、なんか歌詞で全部説明してたら、音いらねえじゃんって思っちゃうんだよね。

ソウダ:
なるほど。

yj:
だから、やっぱり音でそれを表現することに意義があると思うから。

ソウダ:
うん。

yj:
だから、TSUBAKIはすごい、歌詞で言いすぎたなっていうのがあって。
まあ、別に好きだけど、でも「今やりたいものか?」っていうとそうじゃないから。

ソウダ:
うんうん。



—-yjの死生観を更に掘り下げる

yj:
まあとりあえず、その”TSUBAKI”っていう曲にも書かれているんだけど、6歳頃にすごく「死」っていうものを意識し始めて、、、

ソウダ:
ほう。6歳っていう記憶は明らかにあるの?

yj:
あるね。

ソウダ:
それはなんで?

yj:
それはね、お風呂にお父さんと入ってる時で。

ソウダ:
ほう。なんていうかそれ、すごく”原体験”っていう感じがするね。

yj:
そう、そうなんだよ。結構、、その頃から、今でも俺は風呂に入ってる時が一番物事を考えるっていうのがあって。多分よくみんなに言うんだけどね。

ソウダ:
うん、知らない。笑

yj:
笑。まあそういうのメンバーによく言うんだけどね。

ソウダ:
はい。笑

yj:
そのときに「死」についてを考えてた時にさ、
すげー怖くなっちゃって。

ソウダ:
ほう。

yj:
で、、、あのー、泣いちゃったりなんかして。お風呂で、一人で。

ソウダ:
ほうほうほう。

yj:
それで、「”死”ってなんだろう?」って思った時に、「あれもなくなるこれもなくなる。」って順番に消していったら、「じゃあこれは残るのかな?」「いやそれもなくなる。」っていった時に、なんかもう「え?じゃあ何もないじゃん。」みたいになって。すげー恐怖だったの。

ソウダ:
うん。

yj:
怖すぎて。で、ある日お父さんとお風呂に入った時に、お父さんに「お父さん、死ぬのって怖い?」って訊いたんだよ。そしたら「うん、怖いよ。」って言ってたの。で、そしたらさ、すごいなんか、安心した反面、余計不安が募ったってのもあって。

ソウダ:
うん。安心と不安。

yj:
お父さんでも、、、「あ、大人でも怖いんだ。」っていうそういう共通認識の安心感と、
「でも、大人でも怖いんだ!」っていう、、、大人になっても問題は解決されてないっていう、両方の、なんか不安と、あと安心みたいなのがあって、そこから、「なんで怖いんだろう?」っていうのを結構考えるようになって。

ソウダ:
うん。小さい頃の、忘れられない記憶か。

yj:
で、まあ、hy-aline辞めるちょっと前あたりに、一つ自分の中で確信づいた所があったのね。

ソウダ:
ほほう。

yj:
それは、あの、、まあ、”死ぬ”ってことはいろんな要素が消えるわけなんだけど、当然全部の要素が消えるのかもしれないし、もしかしたら別の世界に行くだけかもわかんないんだけど、少なくとも、まあ肉体は滅びますわ。でじゃあ、なにがあとは恐怖なのかって考えたときに、自分の”意識”がなくなるのが嫌だったの。

ソウダ:
うん。

yj:
“記憶”と”感覚”と”意識”。

ソウダ:
“記憶”と”感覚”と”意識”。

yj:
ま、記憶と感覚合わせて意識なのかもしれないけど。で、それがなくなるのがすごい怖いなあと思って。

ソウダ:
なるほど。意識の消滅への恐怖。

yj:
うん。だからそれを、残したいなと思ったんですよ。

ソウダ:
うん。

yj:
それが、残れば多分、俺は死ねると思った。

ソウダ:
うーんなるほど!

yj:
そうそう。よく、なんかさ、なんか綺麗な話で、「人っていうのは人の中で生きていく。」みたいなこと言うけど、それ、あながち間違ってないなと思ったんだよね。

ソウダ:
うん。死んでも人の記憶の中で生きていく、的な感じね。

yj:
そうそうそうそうそうそうそうそう。そういっちゃうと、なんかめちゃめちゃ平たい感じになっちゃうんだけど、でもなんか、なんていうのかな、例えば俺が死んだあとでもさ、「yjならこうしたと思う。」っていってさ、それでなんかまあ仮にそれが実行されたとしたらさ、なんかそれってある意味その”俺の残党”じゃないけどさ。笑 なんか、そういうのが残る事になるわけじゃん。

ソウダ:
うんうん。そうだね。

yj:
でそれがずっと、超極端な話、伝統になっていけばさ。多分俺のその”感覚”、”記憶”っていうのは生き続けるんだよね。それはもしかしたら時代を追うごとにどんどん自分の本意とは変わっていった所になっていってしまうかもわからないけど、でも少なくとも多分、しばらくはそれが残っていく。

ソウダ:
うん。

yj:
っていう意味であれば、俺は死を受け入れられると思ったんだよ。

ソウダ:
なるほどなるほど。

yj:
だから、そういう俺の”記憶”や”感覚”、もちろん”自分という存在”っていうもの自体もそうなんだけど、”記憶”と”感覚”を残していきたいなっていうのがあったので、それが事の発端なんですよね。

ソウダ:
うんうん。すごく納得感のあるバンドスタート話だね。

yj:
うん。だからそれを描いていくって意味で、例えばみんな一つの景色を見たとしても、違う感想をそれぞれ得るわけじゃない?

ソウダ:
はい。

yj:
で、その中でも、俺の感想とか、そういうものを残したい。

ソウダ:
なるほどね。

yj:
うん。



—-作品と評価

ソウダ:
それじゃあ、まあちょっと言い換えると、作品が評価される事が喜びである、っていう部分があるってことだよね?

yj:
そうだね。

ソウダ:
それはつまり、yjが評価されることというより、例えばyjがいなくても、死後、肉体も感覚もなくなった後に自分が残した作品が評価されるっていう事は、すごい喜びであるっていうことだよね?まあもちろんイコールな部分もあるかもしれないけれど。

yj:
うん。それは喜びであるっていう事だね。ただね、繋がんなきゃいけないんだよ。だから、俺が生きているうちにそれを少しでも感じれないと、多分死ねないんだよね。

ソウダ:
あー、やっぱりそういう所もあるんだね。

yj:
それはあるね。

ソウダ:
いや、僕もね、それはすごくあって。生きているうちに。例えばそれこそよく出る話としてはさ、ピカソなんて生きているうちは評価されずに、死んでから評価されて、みたいな所あるじゃないですか。

yj:
うんうん。

ソウダ:
で、多分本人は評価されていることを知らなかったっていう事で言うと、それはやっぱり嫌なの?

yj:
うん。繋がってなきゃ、だね。やっぱりそれは。それで完全に評価されずに死にましたってなった時に、それはもうその時点でさ、不遇の死というかさ。笑

ソウダ:
うん。笑

yj:
なんか、叶わず、志半ばでの死だからさ、受け入れられない死なわけじゃん。

ソウダ:
なるほどね。
僕もどっちかっていうと生きているうちに、生きているうちにっていうか、自分は、作品がっていうよりどっちかっていうとその作品を作ったソウダくんがすごいって言われたい感じなのね。笑。認められたい願望というか。

yj:
うん。

ソウダ:
だけど僕の友達に、自分は全く評価されなくてもいいって人がいてね。だから極端な話、その作品に自分作、っていうクレジットが載っていなくても、その作品がどこかですごくいいねって言われてて、それをまあどこかで目にしたとして、でも自分ってわかってもらえてなくても、それはそれで別にいいと。”それが評価されている”ってことがいいことだから、それでいいんだよっていう人がいて。そこに関してはすごく逆だなーと自分で思ったんだよね。

yj:
うんうん。

ソウダ:
まあ作品が評価されても、それを作ったソウダくんすごいって言われないと、僕は満足できない、という所があるわけですよ。
そういう部分で言うとどうなの?それはあるの?

yj:
いや、わかるよ。同じ。

ソウダ:
ああ、そうなんだ。

yj:
ってのは、やっぱりその、さっきの話で言ったように、自分の生き写しなわけじゃん、作品が。だから、イコールなんだよね。

ソウダ:
ああ、なるほど。そこがイコールだ、って言い切れるからか。

yj:
だから、別に俺が評価されたい、とかじゃなくて、なんか自然な流れだと思ってるんだよね。作品が評価されたら、yjが評価されてしかるべきだっていう感じというか。

ソウダ:
うんうんうーん。なるほどね。

yj:
だからその、どっちかしか評価されないってなった時は、多分、隔たりが生じてしまっているというか。

ソウダ:
ああなるほど!

yj:
曲と俺において隔たりが生じてしまっているのか、それともその人の解釈において隔たりが生じてしまっているのか、どっちかが生じているっていう状態かなっていう気がする。

ソウダ:
なるほどなるほど。



—-yjにとってのメンバーとは

ソウダ:
実はメンバーにも、まあ実はっていうのもあれだけど、笑、
「AYANOに入った時にどこに惹かれて、共感して、入ったんですか?」っていう事を訊いたわけですよ。そしたら、まあ当然だと自覚してるかもしれないけど、二人とも共通して、やっぱりyjの”死生観”だと。

yj:
うん。

ソウダ:
という事を言っていて、まあそれはそうだろうなと思ってるかもしれないですけど、それってでも、すごく大事なことだなあと思って。まあだから僕はあえてこの順番で話を聞きたかったというのがあって。やりたかったのがそういう事なんだけれど。

yj:
うんうん。

ソウダ:
結局、郁から質問して、ソルにも聞いて、で最後にyjに聞いたのは、結局どこまでそれが、そしてどういう風に一致してるのかなってのが知りたかったから。
まあそれは今までの2人のインタビューを読んでもらえるといいんだけど。郁はその死生観に対して、共感する所がある、自分も同じ部分がある、と言っていて。子どもの頃から、昔から死ぬことが怖かったと。

yj:
うんうん。

ソウダ:
だから、そういうことを思っている人がいて、それに対して共感して、「ああ、私もそうだ。」っていう所で一緒にやっていきたいっていう風になって、まあ年齢を重ねたり、一緒にやっていくにつれて、色んなことを考えたりもするけど、基本的にそういう部分がある、と。そしてソルに関しては、割と逆な部分があって、yjの死生観っていうものに惹かれた事自体はそうなんだけど、ソルとしては逆に、死に対して怖いとかいう感情はそこまではなかったというか、そこに関しては”共感”と言う意味ではなかったと。

だけど、yjがそういう風に思う感じっていうのは、どこから来るのか、そういう所に対してすごく興味があって、自分(ソル)はすごくポジティブな人間だから、あんまりネガティブなことは考えないんだけど、そういう風に思う人たち、つまりyjや郁はどういう所からそういう風に思って、どういう風に感じて、どういうことをしているのか、っていうことに興味があって一緒にやっている部分がある、っていう。ある意味、極端に言うと、逆の立場からの見方であると。

yj:
うんうん。

ソウダ:
そのあたりの対比がすごく面白いなと思っていて。そういう風な感じでバンドをやっている、っていうのは、そういう一つの軸がある、けれども見ている視点が違う所であったり、はたまた同じ所から見てるけれども当然違う人間なので違うことを思っている、っていう事があって、それぞれの三者三様の立ち位置と見方があって、それがすごく面白いなあと。

yj:
うん。

ソウダ:
それで2人にも聞いたのは、結局yjが思っていることを表現するっていう所に対して、どれくらい、こう、、、自分たちがそれを100%表現することに対しての、なんていうのかな、受け容れ方と反発心、みたいな所を訊いたんだけど。
結局それって「別に誰でもいいじゃん。」ってことになるかもしれない、あの、、極端な言い方をすれば。

yj:
あ、AYANOが?

ソウダ:
そうそうそう。yjから出て来るものを表現するっていうだけだったら別に、yjが「こういうフレーズを弾いてくれ。」で、弾ける人がいればそれでいいじゃない。

yj:
うん。

ソウダ:
そういう意味で言うと、”自分を出す”みたいな部分をどういう風にとらえてるのかな?みたいな所を訊いてね。

yj:
あー本人たちそれぞれがね。

ソウダ:
そうそう。そういう所から解き明かす”AYANO像”みたいな。笑

yj:
はいはいはい。笑。面白いじゃん。笑

ソウダ:
そうそう。笑 詳細を今説明すると長くなっちゃうので、記事に書くけど。
(インタビュー「郁」編と「ソル」編参照。)

yj:
うんうん。

ソウダ:
それでyjに訊きたいのは、逆に言うとyjはそれに対して、弾いてくれる人達に対して、”この人じゃなきゃ”という部分を捉えているのかなと。もちろんね、彼らじゃなきゃ駄目っていう所、あると思うんだけど、それはどういう部分なのか、と。
“yj”と”AYANO”は被さって、二アリーイコールであるとは思うけれども、じゃあ”yjがAYANOとして存在していること”っていうのはどういう事なんだろうみたいなことを、yjから見ての感覚を訊きたい。

yj:
はいはいはい。

ソウダ:
ちょっと長くなりましたが。

yj:
まずもちろん、誰でもいいっていうのはやっぱり、無くて。俺の中には。やっぱり彼らじゃないと、今、駄目だと思うし。

ソウダ:
うん。それをあえて言葉にするとどういう事なんだろうっていう所がね、知りたいわけですよ。

yj:
うん。まず”人間性”なんですわな。

ソウダ:
ほう。人間性。

yj:
まず、”人間性”。まあ、当然その、俺の死生観を受け入れられるかどうかっていうのは大前提として。
その後にあるのは、やっぱり人としての、、、結局俺は死を見つめているわけだから、裏を返せばそれは”どう生きるのか”っていう事でもあるので、あの2人がどう生きるのか、において、あの人らの性格が要するに、俺が一緒に生きていけるっていう性格だったわけですよ。

ソウダ:
そういう、ある部分での”人間性の一致”っていうのがあったわけだ。

yj:
うん。人間性の一致だね。例えば俺は、やっている音楽に対して全然違う私生活を歩んでいる、っていうのが嫌いなの。

ソウダ:
ああ、さっきの話の、作品と人間性の一致、的な部分だね。

yj:
うん。それはやっていることに責任を持ってないっていう風に思って。っていうのが、前のドラムの一紀とかは、AYANOの音源をすごく表現しようと思ってくれるんだけど、いざ舞台を降りた後っていうのがさ、結構チャラい奴だったりとかさ。

ソウダ:
うーん。そこ、か。

yj:
意外とその、行動が伴っていなかったりとかで。

ソウダ:
チャラさの問題なの?

yj:
いや、チャラさっていうか、そうじゃなくて、なんというかな、、音楽と連動した生き方をしていないっていうか、それと正反対の事をやってたりとかさ、たまにするわけですわ。で、そういうのがなんか、嫌だった所でもあるのね。

ソウダ:
ふむ。そうなのか。

yj:
あのー、、うん。そうだね。だから、そういうのは基本的に嫌だっていうか、まあ、おかしいじゃんそれ。なんか、演じてるじゃん、それって。

ソウダ:
演じるのが悪い事だとは、それ自体は思わないけれど、言ってる事はわかる。

yj:
うん、そういうのが嫌だったの。

ソウダ:
なるほど。

yj:
だからそういう意味で、今の2人は、演じる必要がないって意味で。

ソウダ:
うん。

yj:
だからもうほんとに人間性が、AYANOの音楽、、、なんか、超上から目線と言うか、あの、生意気なことを言うと、、、あの、なんていうのかな、”その権利がある”っていうか。

ソウダ:
権利が、ある。

yj:
資質があるっていうか、、、そうだね。そういう人たちだと思うんだよね。

ソウダ:
ごめんね、それってどういう事だろう。権利、資質がある。言葉にするのは難しいとは思うけど。
まあその、合う、ウマが合う、っていうのはわかるんだけど。
この話だとね、じゃあ「何をもってウマが合うっていう判断になるんだろう?」っていう所で言うとさ、「AYANOの音楽をやれる人材であるっていう所ってどういう判断基準なの?」っていう疑問がまた生まれるというか。

yj:
まあ、判断基準は、結局俺の中にしかないのかもわからないけど。

ソウダ:
うん。そうかもしれないけれど、でもそれを少しでも言葉にしてほしいわけですよ。

yj:
うーん。

ソウダ:
うん。

yj:
一緒に人生を歩める人っていうか。

ソウダ:
まあそれはさっきも聞いたんだけど。笑。それはどこでそう思うの?細かいことでもいいんだけど。具体例で。

yj:
うーん。具体例、、、そうだね、、、まあ、言動だよね。でもなんか、その人が好きかどうかってさ、分析できないのと同じようにさ、

ソウダ:
いや、出来ると僕は思うんだ。

yj:
そうなんだ。笑

ソウダ:
いや人によるとは思うけど、僕は出来ると思うし、まあそこをあえて言葉にして欲しい、という。ここは言葉しか載らないので。

yj:
うん。なんか、まあ、恋愛と似たような所でさ、その、「何が好き?」っていった時にさ、ね、、、あのー、、、具体的に言えない。笑

ソウダ:
うーん、めげないけど、笑、例えば後から思い返してさ、「あ、ここでこう思ったなー。」みたいなのはあるじゃないですか。

yj:
はい。

ソウダ:
例えばね。郁が言ってたのは、ソルとスタジオに最初に入った時に、この人とならうまくいくな、って思ったエピソードを話していて。そういう、音を出してみた時の出来事、とかさ。

yj:
あー、なんか事象でいいのね。

ソウダ:
そうそうそうそう。その”感覚”って言っちゃうと、「その感覚ってなんなの?」っていう話になっちゃうから。笑

yj:
そうだね。笑

ソウダ:
うん。例えばそういうエピソード。

yj:
じゃあ一つの事象として言うと。なんかこれちょっと、さっき人間性の話をしたんだけど、ほんとはちょっともう一個あって、音楽性の話で。そっち寄りの話になっちゃうんだけど。

ソウダ:
うんうん。どうぞ。

yj:
例えばソルってのは、「じゃあこの曲聴いてやってきてください。」って、はじめにスタジオに入った時にそうやって曲をパッて渡したんだけど、それでまずやってきた時に、俺が思い描いていたグルーヴとちょっと違ったりなんかして。そこで、試しに曲の内容を説明してみたの。

ソウダ:
はいはい。

yj:
そしたら、えらく豹変して。

ソウダ:
ほう。

yj:
えらく俺の欲しかったものになったの。

ソウダ:
おー。

yj:
で、つまりその、俺が曲の内容を説明した事によって、彼はそれを理解し、更に俺が細かいことを言わずとも、ある程度大まかに表現してしまったわけですよ。それってやっぱり、すごいシンクロ率というかさ。

ソウダ:
はいはいはい。

yj:
それは、まあ、彼がどういう方向性を向いていたのか厳密にはわからないけど、でも少なくともその話から、音で表現した、俺の感覚とそれが一致した、っていう事象だったわけですよ。

ソウダ:
うん。

yj:
だから、そこにやっぱり、いいなと思ったわけですよね。

ソウダ:
なるほどね。それ実は、さっき言ってた郁のエピソード、っていうやつで。同じ話を郁がしていて。
やっぱり、同じようにそういう感覚があったんだね。

yj:
そうだね、ソルに関してはね。その時郁もいたからね。

ソウダ:
はい、そうだね。

yj:
ソルに関してはそれが一番大きかったかな。

ソウダ:
うーん。それってさらに訊くと、例えばどういう事なの?思い出せる?
最初に曲を叩いたときは違ったけど、説明した後に変わった事っていうのは。

yj:
具体的に?

ソウダ:
そう。例えば強弱なのか、フレーズなのか。

yj:
フレーズはねえ、AYANOの場合フレーズは大体簡単なんだけど、ニュアンスがやっぱりすごく問われるんだけど、それが例えば、リズム的に前にいるのか後ろにいるのかとか、アクセントがどこにあるのかとか、あとはその、”グルーヴの回し方”、だよね。その、強弱かな、ほんとに。自分の体の中では16分で取ってるけど実際出力は8分っていうのと、実際8分で体で取ってて8分で叩くってのは、やっぱり、ちょっと変わってくるじゃん。

ソウダ:
うんうん。

yj:
ここは、どうしても説明がつかないんだけど。笑 でも、そういう所が、その、全部うまくいったんですわな。

ソウダ:
いや、説明になってるよ。うん。

yj:
その、全部とは言わないけど、ほんとにガラリと。

ソウダ:
ふんふん。

yj:
例えば二割ぐらいしか正解してないのが、一気に八割ぐらいいったみたいな。そういう事だったんですわな。これでわかるかな。

ソウダ:
うん。わかるわかる。



—-yj=AYANOでは無い、ではAYANOとは何か

ソウダ:
それで、さっきの話に戻ると、その根幹にあるのは、yjがイメージしてた、まあ、”風景”であったりとか”情景”であったりとか、それ的な物であったりとか、そこに鳴っている音、っていうものに、皆が合わせていくっていう事だよね?

yj:
そうだね。

ソウダ:
それでいうと、先にソルが言ってたことを言うとちょっとネタバレみたいになっちゃうけど、まあ一つソルが言ってたので面白いなと思ったのは、「じゃあ”それ”はなんだろう?」という話で。まあ、yjと郁とソルっていうのがいて、で、さらに”AYANO”っていうものがあるとしたら、そしてそこの共通点というか、そこにある「AYANOっていうものとはなんだろう?」みたいな話。

yj:
うん。

ソウダ:
1人ね、まあ今メンバーが3人として、その3人とは別に、もう1人誰かがいる、と。
その誰か、を名付けるのかどうかわからないけど、まあその誰か、何かがいて、その人が常にこう、まあ後ろで見ている、と。その人がある種客観的な目で見ている感覚、らしいんですね。

yj:
うんうんうん。

ソウダ:
で、それがもうちょっと言うと、AYANOを追いかけてきている、いや、AYANOっていうかメンバーを基本的に追いかけてきている感じ、なんだって。
それに迫られているかの様な、焦燥感と言うか、何かに追いかけられている、という感覚がどこかにあって、それを表現すると、AYANOに近づくっていう感覚がある、と。

yj:
あはははは。笑 うんうんうん。

ソウダ:
どこかに、焦燥感なのか、追いかけられている感覚なのか、まあともかくそういうものがあって、それが多分きっと、「死」なんだろう、と。

yj:
あー、はいはいはい。

ソウダ:
というようなことを言っていたんですよ。

yj:
はいはいはい。

ソウダ:
ああなるほどなという風に思ったんですけど、それを聞いてっていうのもあるし、まあそういう例え話を聞いて改めて、「じゃあAYANOとはなんぞや。」と。3人がいるということで、まあ”yj” イコール “AYANO” ではない。

yj:
うん。

ソウダ:
であるわけだから、じゃあAYANOとはなんなんだろうっていう所でいうと、yj的にはどういう所なんですか。

yj:
AYANOとは、、、。まあソルの話もちょっと面白いんだけど、っていうのは、曲を作っててさ、ある程度の途中で、画がもう出来上がっちゃう、ってさっき言ったじゃん。

ソウダ:
うん。

yj:
そうなった時ってさ、なんかもうそこからすごい一気に音楽的作業になるっていうかさ。なんか画が出来ちゃうと、もうそれを目指すだけだから。
ある意味俺もちょっと客観的になるんだよね。その瞬間から。

ソウダ:
うんうん。

yj:
だからスタジオで、皆でああでもないこうでもないってやってる時に、”ああでもないこうでもない”っていうのは俺の判断基準じゃなくて、俺がその、、、見た、作り上げてしまった世界、もう、ある意味独り歩きしてるっていうか、出来上がっちゃったものだから、俺の意思とは別にもう関係ない、ぐらいの関係になってしまうんだけど。

ソウダ:
ほう。

yj:
それを表すのに3人で必死になってるんだよね。

ソウダ:
うーん、なるほどね。

yj:
だから、皆わかるんだよ。「あ、これ違うね。」とか、「あ、これが合ってるね。」とか、なんかそういうのを、俺も一緒になって客観的になって作業してるんだよね。

ソウダ:
なるほど。

yj:
だから、多分、そう、俺らでよく言うんだけど、「曲の為に何をするべきか。」っていうのを、すごいスタジオの中では考えてるんだよね。その曲ってのは、多分その”世界”だし、それがもしかしたらその”後ろからやってくる人”かもしれないし、それに対して、そう、必死にやってるんだよね、スタジオの中で。笑 だから、自分で作ったのになんか自分で俺が「ちげー、ちげー。」とかなんかやってたり。笑

ソウダ:
じゃあある意味、「出来たな。」って思った瞬間に、yjの手を離れてAYANOのものになるっていうような感じになるって事か。

yj:
そうだね。で、しかも細かいディテールっていうのはある程度あるけどさ、そこにさ、メンバーが感じるディテールもあるわけじゃん。

ソウダ:
うん。

yj:
例えば、ここになんか花が一輪咲いてるとして、俺の中では花が一輪ってなった中でも、メンバーは「それはチューリップだよね。」とか言ったら、意外とそれが多分、「あーそうだね。」みたいになったりするんだよね。

ソウダ:
あー、花が一輪っていう所から、じゃあそれは何の花なんだっていう所でね。

yj:
そうそう。それをやっぱりメンバーが言い当てたりとかするわけで、それでどんどんディテールが深まっていくわけだよね。要するに、ディテールのブラッシュアップだよね。ある意味。

ソウダ:
うん。

yj:
それをやるにあたって、やっぱりね、あの2人は素晴らしいなと思うし、なんかそこがなんかねー、結構同じ所を見てるというか、たぶん同じ映像はもうね、結構最初の時点で見えちゃうんだよね。でも、だからその、俺の手の届かなかった細かいディテールとかもメンバーがポンポン言っていって、それで俺も逆輸入形式に、「あ、じゃあそうだね、これはここだよね。」みたいになってやるんだよね。だからその画に向かっていくし、画のブラッシュアップにこう、、、必死になってやっていくんだよね。

ソウダ:
うん。

yj:
そう、だからその感覚は、うん、素晴らしいものがあるというか、別にそれは俺も含めて3人がうまく連動してるなと思う。

ソウダ:
わかってきたわかってきた。うんうん、なるほどね。



—-作り手の感覚と受け手の感覚の一致に、どこまで期待するのか

ソウダ:
じゃあ更に訊きたいのは。
それがお客さんにどこまで伝わって欲しいのか、伝えたいのかみたいなことだね。
それはやっぱり同じ景色が見えてほしいの?

yj:
あのねー、同じ景色を見た所で、感じる事は違うじゃん。だから、基本的に同じ景色は見えてほしいんだけど、でもそこで感じる事はそれぞれ自由だし、逆に俺はやっぱり感覚を残したいから、またそれは逆に言うと、同じ感覚を持った時に見える世界というのも違うわけじゃん。

ソウダ:
あー。なるほどね。


・・・後編へ続く。


後記

というわけで、あまりにも長くなってしまったこのインタビューは、後編へ続きます。
後半は更に話が混み入った部分に突入し、ディープになってゆきます。
yj1人で、2人分あります。笑

僕は、インタビューという作業のいい所は、あえて改まった場を作る事で生み出される新しい関係性、化学反応、みたいな部分じゃないかと思っています。

普段は実務的にこなさなければならない課題が目の前に山積みになっていて、
思考やニュアンスについて議論をするような機会というのがあまり無かったりする関係性の場合は特に。

そんな時、”場”を作る、という事は、とても重要な事だな、と、よく感じるのです。

それがまた、新しいものを掘り出す、という意味で、彫刻に似た作業だと思う、別の一面でもあります。

インタビュー後半、そして11月16日の秋公演。乞うご期待。

AYANO four season tour
“Art Your Life” 〜autumn〜

2013年11月16日(土)
開場17:30 開演18:00
下北沢アレイホール
前売2800円 当日3200円

食べるアート1品制(入場時に別途500円かかります)
(演奏終了後に提供されます)

AYANO official web
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